20001.03.10(土) 術後4日目

入院9日目。 てんき晴れのち曇り 
ドレーンは昨日の朝から40CC.色もずいぶん薄い赤になったし、量も少なくなった。独特のにおいにも慣れてしまった。
朝食後、ガーゼ交換。E先生とはじめてみる男性の先生。「一番上に止めてる金属の糸を抜いときましょうね」といわれてマイナスドライバーの先の広いような道具で「ぱちんぱちん」とはずされていく。留めておく時間が長いと傷が長く残ってしまうからということで、すごくありがたい。まだ傷を見る勇気はないけど。「中のほうは溶ける糸で何重にも縫ってるから、傷が開くって事はないですからね」ということだけど、ひえーきもちがわるいよー。すごく変な感じ。一箇所だけ何かが抜けるような感じがした。「ちょっと感覚が残ってるかなぁ?」ってことは、右胸はこれから一生触られてるのだけがわかるってだけの感覚しかないって事なのかしら?ふぅん。不思議。糸を取られるのにすごく緊張(だって痛いのかって思ってたんだもの)していたので、聞きそびれてしまった。また月曜日にでも聞いてみよう。
ちなみに、抜糸したからといっても、ぜんぜん変わらない。ドレーンが外れてないせいかな。
「今日は両手を組んで頭のうえまで、5回以上ね(ハートマーク付)」というリハビリ目標。早速上げたら、胸の傷のところが「ぴきっ」ってなったような気がして怖くなる。いや、先生は開かないって言ってた。大丈夫、大丈夫。だよね?
下の売店まで階段を下りて、上がってきたらすごく疲れてしまってそれ以降昼までベットの上で過ごす。昼ご飯も半分ぐらい残してしまう。
昼過ぎから雲が出てきた。なんだか術側の右腕が異様に重い。すごくいやな感じ。タオルを握ると肘から上の裏側が長い針でも刺したように痛む。看護婦さんに蒸しタオルをもらう。暖めるとずいぶん違うそうだ。確かにマッサージしながらタオルを当てていたら少しだけ楽になった。
2時過ぎ、夫が到着。夕ご飯前まで、いっしょにいてくれる。腕が重いせいかかなり凹んでたけど、現金なもので顔を見たらほっとする。今日は実家に帰るというのでご飯の心配もしなくていい。毎日何を食べてるのかしらとすごく気になるもの。実家でお義母さんにおいしいものいっぱい食べさせてもらってね。夕食後、妹が洗濯物を取りに来てくれる。いつもごめんね。ありがと。
夜中、なかなか眠れない。ふっと右胸に手を置いてみる。ぺったんこ。あたりまえだけど。私の右胸のふくらみはもうない。どこにもない。涙が出てくる。再建を選べばよかったのか、何度も何度も考える。自分の筋肉はガンを治して赤ちゃんが欲しいから使えない。人工物を入れたりするのはどうしてもイヤ。だからこれでよかったんだと、私は大丈夫だと何度も言い聞かせるけど、涙は止まらない。自分の傷をちゃんと受け入れられるのだろうか。ドレーンの管から見える赤い体液でさえ「怖い」という夫は、私の体を受け入れてくれるんだろうか?
そんなことを考えながら寝返りも打てないでいると、向かいから「あいたたたた」という声。木曜日手術だったおばあちゃんがリカバリールームから帰ってきていたのだけど、ベットの横のポータブルトイレを一人で使おうとして、ベットの柵を乗り越えて(!)使ったのはいいけど、立ち上がれなくなってたのだ。同室の人はみんな起き出して大騒ぎ。慌ててナースコールを押して看護婦さんを呼ぶ。2人すっ飛んでこられた。点滴のバックが3つ、両手から点滴で管もいっぱい、しかも立ててあるベットの柵をどうやって乗り越えたのかしら。看護婦さんから「今度は絶対に呼んでくださいね」と言われたのに、4時半ごろもう1度自分でしようとした。そのころちょうど目が覚めたので今度はナースステーションまで急ぎ足で看護婦さんを呼びに行った。
やれやれ。「看護婦さんを起こすのは気の毒いから」とおばあちゃんは言うけど、夜勤の看護婦さんはずーっと起きてるんだよぉ。
そうこうしてると5時。病棟は5時過ぎるととたんにざわざわしだす。結局ほとんど眠れずに、夜が明ける。

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