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20001.03.18(日) 術後12日目
てんき:はれ。5時に目が覚める。のどが渇いてしょうがない。水を飲んで、再び横になる。7時過ぎに起きた。ゆっくり眠れたので、頭もすっきり。どうしてあんなに泣いたんだろう?看護婦さんも入れ替わりやってくる。「大丈夫?」はい、昨日はお騒がせしました。ごめんね。
今日は日曜日なので、朝ご飯はパン食。クロワッサンと、ブドウパンとミルクパンと3種類。おなかがいっぱいになって再び眠った。何かざわついているので目を開けたら、E先生が来られた。「起こしちゃったかな?」「あ、おはようございますじゃなくて・・・・」「まだ9時半ですよ」。日曜日なのに大変ですね、先生。昨日のことも知られていて、「大丈夫だった?今日の夜も安定剤出しておこうか?」。素直にお願いする。大丈夫だとは思うけど。昨日は極端な睡眠不足だったし。
今日は再び胸全体がガーゼで覆われてしまった。左側の端はちょっと見えてはいるけど。お風呂に入って流したからか、かさぶたが取れて白い皮膚がのぞいている部分もある。きっとこうやって少しずつ治っていくんだ。
洗濯をして、乾燥1回で生乾きのまま、窓際に置く。洗濯の人が多くて、後の人からせかされてしまったので乾燥機を2回は使えなかったのだ。まいいか。今日はぽかぽか陽気だから、乾くだろう。隣の人の分も洗濯を頼まれて、大忙し。
日曜の午後は、お見舞いの人が多くて、病室はとたんににぎやかになる。家族が遠くにいて、お見舞いのない人はちょっとさびしそう。
3時前に夫が来てくれる。と、ちょうど母も洗濯物を持って来てくれた。20日の夜は退院祝いに赤飯を炊いてくれるそうだ。
食堂は南向きで、午後は非常に暖かい。ここもお見舞いの人がいっぱい。普段の倍ぐらいざわざわしている。お見舞いの人たちの他愛ないおしゃべり。会いにきてくれるだけでもうれしいもの。お友達や家族が入院したとき、できるだけお見舞いに行ってあげて。プレゼントとか何もいらない。もらえばかえって気を使うから。誰かが会いに来てくれた日、その患者さんどんなに生き生きしているか、きっと病院の中にいる人しか分からないだろう。
しかし、許しがたいこと。所々で鳴り響く携帯電話の派手な着メロ。音量は最大。そのときだけざわめきが止まり、みんなが注目する。あのねぇ、目が見えないの?字が読めないの?日本語、理解できないの?それとも単にアタマが悪いの?あちこちに張り紙がしてあるでしょう?「病院内での携帯電話のご利用は自粛してください」ああ、自粛って意味がわからないのか。この食堂の中だって3枚。病院の入り口から病棟まで、10枚ぐらいは見たはず。ここは病院。どうしても使いたいのならせめてマナーモードとかにしてくれ。あんまりよろしくはないけど。「心臓外科」だってあるんだよ。別の食堂だけどさ。ペースメーカーの人だっていっぱいいるんだよ。「神経質すぎ」だとか勝手なことをいえるのは健康な人だけ。こちらは命がかかってるんだ。
一人で怒っていたら夫が「よしよし」と頭をなでた。入院してから1日も欠かさず来てくれること、癌と分かってからも変わらずにいてくれること、本当にどれだけ感謝してもし足りない。あなたがいてくれるから、癌と戦うことができる。心から幸せだと思う。 
夜、担当看護婦さんとちょっとおしゃべり。昨日のことを心配していてくれた。受け入れるのは自分しかないからね、という結論。そう、がんばって見れるようにしなければ。
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