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20001.03.14(水) 術後8日目

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入院13日目。 てんき晴のちくもり。朝1番に先生が、「じゃ、ドレーン外するからね!」と来られる。ひえー。いきなり緊張。上着を脱いで横になると、E先生が「足が緊張してるよ?」と言われた。あうー。緊張してます。だって、結構太いチューブ2本も抜くんだよ?
D先生が「止めてる糸を外すからね」。私がここが出口かなと認識していたあたりで「ぱちん」と音がしてる。糸で縫いつけてあったのか。固まってる私に「息までとめてたの?」と笑われてしまった。そうです、私はMちゃんと同じく「カビンちゃん」なんですよー。「じゃぁ、抜くからねー」という言葉とともに、体の中から細い蛇でも出て行くような感触。痛くはないけど気持ち悪かった。結構長さがあったのかな。「穴は2日もあれば自然に塞がりますからね」ということで、そのままガーゼを当てられる。
起き上がると、体がすごく自由になった気分。管つきじゃなくなっただけで、こんなに違うものなのね。さっきまでのカチンコチンの緊張はどこへやら、気分はもう最高。ふっふっふっ。これで何でもできるわよっていう気分。
E先生が「今日からリハビリ入れてますからね(にっこり)」。待ちに待ったリハビリの開始だ!
すぐに詰め所に呼ばれる。わぁ。もう始まったか。と思ったら「明日に予定していた骨シンチの検査が今日入ったので、行って下さい。」といわれ、放射線部へ。これは平たく言えば全身骨レントゲンみたいなもので、癌が骨に転移していないかを調べるものらしい。まずは静脈注射で薬(造影剤?)を入れて何時間かして撮るので、まずは注射だけ。検査の先生から「リハビリとの兼ね合いもあるから、時間はあとから病棟へ連絡します」といわれ、病棟へ戻ると、早速「11時40分ごろに来てください」との連絡。
同室の人に昼ご飯の取り置きをお願いして、再び放射線部へ。骨シンチの機械は、MRIのような大きな筒の中にベットごと入る形。仰向けに寝て、手はからだの両側にたらす。手を置くプレートを入れて、タオルケットをかけてもらって横になる。「30分程かかるので、普通のレントゲンのように息を止めてとかの指示は出しません。ゆっくりしてていいですよ」と先生。緊張を和らげるためか、音楽がかかってる。でも、ロックなんですが?私はヴァン・ヘイレン好きだからいいけど。ベットが動き出し、機械に入る。目の前5センチほどのところに白い板。あまりにも近くで圧迫感もあるので目を閉じる。かすかに「ウィーン」という音がして、機械がゆっくりゆっくり動き出した。1分に10センチも動かないぐらいの速度。うーん、ひまだ。唐突にくしゃみがしたくなった。でも、先生からは「大きくは動かないでね」といわれてるし、必死でガマンする。
いったん足のほうまで行った機械が、胸のほうに戻ってくる。「ここだけもう1度撮りますね」ということで、首からおなかまで撮って、終わり。検査室を出たところで、盛大にくしゃみ3連発。あ、傷にあんまり響かなくなってる。最初のうちは、30分は立ち直れないほどの衝撃だったのに。
戻って昼食を取っていたら、婦長さんが来られて「1時からリハビリ入ってますからね。がんばっていってね」。すでに12時半。バタバタかきこんで、リハビリに向かう。
今日が最初なので、まず診察。手術の部位の確認。右手と左手を交互に上げたり広げたり。どのくらい動くかチェック。次にアームレスリングのような体勢で、先生の手を払いのけるのをした。握力検査も。右は力いっぱい握っても左より少し落ちる。「ずーん」と腕がしびれるような感触。「右の腕の力はかなり落ちてますね。しっかりリハビリしてください」と言うことで、診察は終わり。
まずは蒸しタオルで右肩を20分暖める。それから隣のリハビリ室に移る。担当のF先生が来られる。手術の経過などを聞かれ、まずは滑車運動を10分。これは、滑車の両端に握るところがついていて、それを上げ下げする。右腕だけでは上がらないのを左を下げることによって上がるようにするもの。手を真横にもってくるのと、手の甲を上に向けてを半分ずつ。まだ真上には上がらないだろうからと、いすを少しひいて座る。最初はそうでもなかったのに、何度か動かしていくうちに右腕が上がるようになってきた。あら不思議。楽しくなってきて、どんどんやってみる。
次はマッサージ。左下にして横になって、「肩甲骨のあたりから動かしますねー」とぐいーぐ いーっといろいろな方向に伸ばされる。気持ちいいけど、痛いよー。「深呼吸してねー」。はい。これは先生のほうが重労働だなぁ。15分ほど伸ばされて、次は120cmぐらいの棒を持って、両手を真上に、右上に引っ張る、右奥にひっぱるという運動を10回ずつ2セット。で、今日のリハビリは終わり。正味1時間ちょっと。
動かしてからは、さらに何か自由になった気がして、ルンルンで階段を上る。部屋に戻ると父が来ていた。なんと骨シンチに行ってた間に来てくれたらしい。タイミングが悪くて2時間以上も待たせてしまった。ごめんね。ごめんねー。
夕方まで、何度か階段上りをする。
夜にD先生とE先生が「リハビリどうだったー?」と来られた。筋肉痛が早速出てきてしまっている。これが取れる頃にはリハビリ完了らしい。内臓エコーとなにか、あと2つ検査があるということだった。
そのあと、E先生に退院前にとお願いしていた婦人科検診の延期をお願いする。予定より1週間以上早く生理がきてしまったのだ。手術のあとに周期が狂うのは良くあることらしい。私はもともと不順だし。こういうのは、女性の先生が言いやすい。でも婦人科の先生は男性の先生だもんなー。
女性にとって一番イヤな検診は、たぶん婦人科(婦人科の先生ごめんなさい)。行きたくはないけど、今異常がないか調べてもらっておかないと、ホルモン治療とかになった後では調べようがないもの。先生から事情を伝えてもらえるし、カルテを見れば分かるし、こういう時は総合病院でよかったと思う。
ただ、当分赤ちゃんを望めない私にとって、「産婦人科」の待合室は気が重い。きっと不妊治療のためにこの病院に来ている人たちもそうだろうなぁ。掲示板で、産婦人科で不妊治療を受けている人が、隣に座っていた妊婦さんに何月出産予定ですか?と聞かれてやりきれなくなった、という書き込みをたくさん見た。
結婚して2年。そろそろやばいかなと思っていた先の発病なので、何も知らない人からの「子どもさんは?」は善意の言葉(だと信じたい)でも心に痛い。言われた日には1日落ち込むぐらいだ。ふぅぅ。「私は乳がんなんだよ、文句あっか?」とどっかで切れそうだな。そういえば、子宮ガンで摘出したどっかの芸能人が、「離婚かな」とダンナに言ったとか、記者会見で「アメリカに渡って代理母を使ってでも」とか言ってたのを「美談」みたいにマスコミが取り上げていたのを見てあきれ果てたし、頭に来た。癌になって子どもが生めなくなった女は、離婚しなきゃいけないんか?なんでよ?癌になったら何もかもあきらめなきゃいけないわけ?治療が一段落して、病院には1年に1回でいいって言われたって、みんな再発の不安におびえながら、がんばってるんだ。再発したって、がんばってる人いっぱいいるんだ。そんな人たちを侮辱するような言葉をどうして「美談」と言えるのか。
ああ、いかん、こんなことばっかり考えていたら、キラー細胞が増えない。と思ってたら、同室の人たちが大爆笑。「なぁに?」同室(ここは6人部屋)のうち、2人が明日手術だけど、手術台の上で「最後の抵抗」をする。一人は魚みたいに「ぴくぴくっ」ってはねて、もう1人は「けたくりまわす」んだそうだ。
ここの部屋はいつも笑い声が絶えない。その中心2人とも手術。さらに1人は治療なので、明日はきっと静かだろうなぁ、この部屋。
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